对于丹霞拉练心得体会及收获(七篇)

  • 上传日期:2023-01-08 09:33:12 |
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对于丹霞拉练心得体会及收获一

杨家岩景区由丹霞壁画石刻长廊游览区和观音沟原始生态瀑布王国区两大部分组成,景区内有珍稀植物数10种:包括濒危植物桫椤,珍稀保护植物小金花茶,赤水覃树(当地人称铁夹子),鹅掌秋等等。

我们沿着溪流溯游而上,直抵山顶,随处可见桫椤戏泉水,竹海映丹霞的独特景观。这里位于赤水丹霞世界自然遗产地核心保护区的西北部,属回春青年早期高原峡谷型丹霞地貌。他的形成,是在新地壳运动和水的作用下,遭受强烈抬升的夷平面,经过几百万年的风雨侵蚀、剥露后,软的被水冲刷带走,形成沟谷;硬的被留下来,形成山脉、山峰和丘陵;余下赤红色的土壤、岩石,形成千姿百态的丹霞奇观。

瞧!左边丹霞石滩上,清澈的溪水被映成朱红色,像一块细腻柔韧的绸缎,飘在群山之间。水边矗立的桫椤,向我们展示了生命演化的顽强和连续,他是古地理环境研究的活体标本。桫椤树不惊不艳,带我们走进那宁静幽远的和谐。水边这几株穿越时空,恰巧来到这里的,说不定,是在等着与您相见!

前面的小桥,从桥墩到桥面是一色的丹霞石,把我们脚下的红石板路延伸到对岸更高处,这红就像杨家岩的血脉,把沟沟岭岭连成一片。

杨家岩观音沟原始生态瀑布王国区内有数百个瀑布,其中最为典型的是佛头瀑、观音瀑、犀牛潭瀑布、一线天瀑布等,瀑布最大落差达60余米。仪态各异的瀑布前,常有平坦的红石滩。远观瀑布,如银珠织帘垂挂谷中,高山流水瀑布之下,有100多米长,40多米宽的丹霞石滩,光洁平缓。瀑布水飞泻而下,在石滩上瞬间舒展,波光粼粼,乐韵飞扬。赤脚踏浪,激起欢快的浪花,清透冰凉,常引得游人乐不思蜀。

大家往前看,前方一大片耀眼的红色,便是杨家岩的核心景点丹霞壁画石刻长廊,这里是赤水最早被发现并开发的丹霞景观,中国丹霞地貌旅游开发研究会终身名誉会长黄进教授到此考察后题词:“杨家岩天然石刻,奇妙无穷,举世罕见”。丹霞壁画石刻长廊,长148米,宽20米至40米,高20多米。布满了丹霞壁画石刻,若飞禽如走兽。最为巧夺天宫的则是那些蜂窝状的痕迹,均匀精致,玲珑圆润,但他并非出自人工雕琢,而是自然而成。岩穴正上方一条金龙张嘴翘尾,全身布满蜂窝状的鳞片,在阳光照耀下,闪烁灵动,栩栩如生。下方的金蛙,金龟像一对披上金纱的护卫,守护家园。有诗曰:丹霞一绝闪金辉,活泼金龙势欲飞;金佛金花红宝殿,金龟金甲紫螺堆;金蛙金鹿檐前雨,金谷金楼壁上碑……

岩前飞瀑洒落,翠竹婆娑。像把亚热带巨型红层盆地发育而来的丹霞岩穴,嵌进玉储碧窗,精致地展示了中国西南地区,大地构造运动演化过程的缩影。鲜艳的丹霞石刻,遍布岩穴,有的表面如鱼粼、如蜂窝、如水波,纹理相通,造型各异,讲述了巴蜀古湖从形成到消亡的历史过程。

杨家岩最具特色的地方,不仅在于他的观赏性和科考价值,还在于他的参与性。返程中,坐在一条长达600多米的滑槽内,就能直通山底,让您一边领略原始丛林的古朴幽静,一边享受童年的乐趣。我猜想,您的童年一定未滑过如此之长的滑滑梯。到达溪边,您还可以乘上飘流船,顺流而下,与红石清泉碰撞搏击,尽情感受清溪峡谷中的激情奔放。

对于丹霞拉练心得体会及收获二

女士们、先生们:

欢迎来到红石野谷——杨家岩景区。杨家岩是赤水世界丹霞自然遗产地核心景区之一,位于赤水市区西南部,离市区16公里,景区面积10平方公里。这里连绵的丹霞山崖,掩映在绿树飞瀑之中,被誉为最具美学价值的天然石刻丹霞景观。走进瀑布成群,桫椤密布的深山幽谷,壮阔耀眼的丹霞岩层,仿佛让人置身于远古时代。这里空气富氧离子含量达每立方厘米30000个以上,是天然氧吧、洗肺天堂。

杨家岩景区由丹霞壁画石刻长廊游览区和观音沟原始生态瀑布王国区两大部分组成,景区内有珍稀植物数10种:包括濒危植物桫椤,珍稀保护植物小金花茶,赤水覃树(当地人称铁夹子),鹅掌秋等等。

我们沿着溪流溯游而上,直抵山顶,随处可见桫椤戏泉水,竹海映丹霞的独特景观。这里位于赤水丹霞世界自然遗产地核心保护区的西北部,属回春青年早期高原峡谷型丹霞地貌。他的形成,是在新地壳运动和水的作用下,遭受强烈抬升的夷平面,经过几百万年的风雨侵蚀、剥露后,软的被水冲刷带走,形成沟谷;硬的被留下来,形成山脉、山峰和丘陵;余下赤红色的土壤、岩石,形成千姿百态的丹霞奇观。

瞧!左边丹霞石滩上,清澈的溪水被映成朱红色,像一块细腻柔韧的绸缎,飘在群山之间。水边矗立的桫椤,向我们展示了生命演化的顽强和连续,他是古地理环境研究的活体标本。桫椤树不惊不艳,带我们走进那宁静幽远的和谐。水边这几株穿越时空,恰巧来到这里的,说不定,是在等着与您相见!

前面的小桥,从桥墩到桥面是一色的丹霞石,把我们脚下的红石板路延伸到对岸更高处,这红就像杨家岩的血脉,把沟沟岭岭连成一片。

杨家岩观音沟原始生态瀑布王国区内有数百个瀑布,其中最为典型的是佛头瀑、观音瀑、犀牛潭瀑布、一线天瀑布等,瀑布最大落差达60余米。仪态各异的瀑布前,常有平坦的红石滩。远观瀑布,如银珠织帘垂挂谷中,高山流水瀑布之下,有100多米长,40多米宽的丹霞石滩,光洁平缓。瀑布水飞泻而下,在石滩上瞬间舒展,波光粼粼,乐韵飞扬。赤脚踏浪,激起欢快的浪花,清透冰凉,常引得游人乐不思蜀。

大家往前看,前方一大片耀眼的红色,便是杨家岩的核心景点丹霞壁画石刻长廊,这里是赤水最早被发现并开发的丹霞景观,中国丹霞地貌旅游开发研究会终身名誉会长黄进教授到此考察后题词:“杨家岩天然石刻,奇妙无穷,举世罕见”。丹霞壁画石刻长廊,长148米,宽20米至40米,高20多米。布满了丹霞壁画石刻,若飞禽如走兽。最为巧夺天宫的则是那些蜂窝状的痕迹,均匀精致,玲珑圆润,但他并非出自人工雕琢,而是自然而成。岩穴正上方一条金龙张嘴翘尾,全身布满蜂窝状的鳞片,在阳光照耀下,闪烁灵动,栩栩如生。下方的金蛙,金龟像一对披上金纱的护卫,守护家园。有诗曰:丹霞一绝闪金辉,活泼金龙势欲飞;金佛金花红宝殿,金龟金甲紫螺堆;金蛙金鹿檐前雨,金谷金楼壁上碑……

岩前飞瀑洒落,翠竹婆娑。像把亚热带巨型红层盆地发育而来的丹霞岩穴,嵌进玉储碧窗,精致地展示了中国西南地区,大地构造运动演化过程的缩影。鲜艳的丹霞石刻,遍布岩穴,有的表面如鱼粼、如蜂窝、如水波,纹理相通,造型各异,讲述了巴蜀古湖从形成到消亡的历史过程。

杨家岩最具特色的地方,不仅在于他的观赏性和科考价值,还在于他的参与性。返程中,坐在一条长达600多米的滑槽内,就能直通山底,让您一边领略原始丛林的古朴幽静,一边享受童年的乐趣。我猜想,您的童年一定未滑过如此之长的滑滑梯。到达溪边,您还可以乘上飘流船,顺流而下,与红石清泉碰撞搏击,尽情感受清溪峡谷中的激情奔放。

对于丹霞拉练心得体会及收获三

亲爱的游客朋友,欢迎您来到美丽神奇的中国红石公园——丹霞山参观游览。我是丹霞山的讲解员,非常高兴能有机会陪同您一起领略丹霞山的秀丽风光,共度美好时光。

亲爱的游客朋友,我们现在所在的位置是中国红石公园——丹霞山的外山门区域金霞小区。这个区域以前有个村子,村子取了一个很特别的名字:石母。也就是石头的祖宗的意思。我们面前的这个山门是目前国内最大的山门。山门是1994年由中山大学教授彭华先生创意设计修建的。山门通高42米,山门的整体是一个巨大的“山”字。右侧门柱取形阳元石,左侧门柱取形天柱石,中间的拱门象形天生桥。最高的门柱的设计创意则来自僧帽峰,上刻的“丹霞”二字是由岭南著名画家关山月先生题写的。门框上的四个大字请大家猜一猜是什么字?对,自右至左,这是书法家章一平先生用大篆书写的“万古金城”。是赞美丹霞山的山石像一座座红色的城堡。门框的左下方还有“中国红石公园”几个隶书大字,是说丹霞山之美堪与美国黄石公园媲美。红石公园前面的两块花岗岩巨石取自锦江上游的仁化县长江镇河田村,上面刻写的是20xx年8月2日广东丹霞山与中国南方共6省6处丹霞地貌集中分布区联合以“中国丹霞”名称申报世界自然遗产获得成功的世界遗产证书和世界遗产标志,并于20xx年10月29日由国际地貌学家协会协会主席迈克尔•克罗泽、世界自然保护联盟代表保罗•丁沃、联合国教科文组织地学部原主任沃尔夫冈•伊德、国际地貌学家协会丹霞地貌工作组主席、中山大学教授彭华共同为中国丹霞世界遗产标志石揭碑。大门的右下方红砂岩石碑上面刻写的是20xx年2月13日丹霞山成功列入全球首批世界地质公园和世界地质公园标志,是20xx年7月5日揭碑开园的。这两块合而为一的巨大的红砂岩则取自韶关境内另一处著名的丹霞地貌景观乐昌市坪石镇金鸡岭的附近。大家可以在这两块标志石前照相留念。

现在我们正式进入景区游览。您可以凭购买的景区门票乘坐景区环保车进入我们的各个游览区,从外山门到阳元石游览区约2公里,到长老峰游览区约4公里,到锦江游船码头约1.5公里。入口的右侧有一条长1500米的进山步道,与阳元石游览区和锦江沿江步道联成一体,游客也可以选择徒步进入山里游览。丹霞山风景区位于广东省韶关市东北郊,总面积292平方公里,北大门距韶关市区45公里,风景区的最南端距韶关东火车站仅6公里。因山石“色如渥丹,灿若明霞”,所以称之为丹霞山。丹霞山是丹霞地貌的命名地。1980年1月正式对外开放,是中国最早对外开放的旅游区之一。我们的丹霞山1988年被国务院列为国家级风景名胜区,1995年被国务院列为国家级自然保护区,20xx年2月13日被联合国教科文组织列为全球首批世界地质公园,20xx年8月2日与中国南方共6省6处丹霞地貌集中分布区以“中国丹霞”名称被联合国教科文组织世界遗产委员会列为中国第八处、也是目前广东唯一的一处世界自然遗产。丹霞山历史悠久,风光秀丽,具有雄、险、奇、秀、幽、古、旷七大特点,素有“万古丹霞冠岭南”的美誉。

雄:即雄伟、阳刚之美。以赤壁丹崖为特色。丹霞山的山峰均由悬崖峭壁构成,拔起于平川或河岸之上,危崖裸露、光滑齐削、气势磅礴,充满阳刚之美。

险:丹霞山地貌具有“顶平、身陡、麓缓”的特点,古人利用这一特征常在崖顶筑石结寨,以险御敌,如巴寨、细美寨、长老寨、扬州寨、韭菜寨等。每座山寨的攀登之路犹如“天梯”,“一夫当关,万夫莫开”,上山途中用红色砂石所垒成的道道山门,也可使敌人望而生畏。

奇:丹霞山石之奇特,形态各异,似墙、似堡、似寨,拟人、拟兽、拟物,形象逼真,栩栩如生。阳元石、阴元石堪称“天下第一绝景”。天然形成的通泰桥则被誉为“岭南第一桥”。龙鳞片石、天柱石、观音石、望夫石与阴、阳元石,并称丹霞山六大奇石。

秀:以亚热带常绿阔叶林为主的植被一年四季郁郁葱葱,浈江全长32千米和作为浈江一级支流的锦江下游34千米蜿蜒于丹霞山区腹地,如飘带,似银练。沿江两岸,竹树婆娑,田园锦绣,江清水碧,山石倒影,丹山碧水交相辉映,不是漓江胜似漓江。

幽:沿断层和节理广泛发育的线谷、巷谷、沟谷普遍具有狭窄幽深的特点,两侧丹崖赤壁,沟谷幽深,谷底植被茂盛,鸟鸣谷幽。丹霞盆地核心区内的山峰和谷地,大部分为无人区。

古:从浈江河畔的新石器时代的鲶鱼转遗址,从相传4000多年前虞舜南巡奏韶乐,从锦江岸边的岩画,从隋唐以来的韶石、狮子岩、锦石岩的开发,到明清时期别传寺等的兴盛,千百年来,古人为丹霞山留下了丰富的建筑、摩崖碑刻、诗文和古老的传说。

旷:主要体现在锦江河谷小平原和浈江河谷小平原。站在丹霞山峰上下望成片的夏富小平原和周田小平原,一派美丽的丹霞田园风光。

丹霞山是丹霞地貌命名地。那么什么是丹霞地貌呢?按照当代丹霞地貌泰斗、中山大学教授黄进先生的定义:丹霞地貌是指有陡崖的陆相红层地貌。这里面有三层含义,第一层是陡崖,也就是我们常说的悬崖峭壁,这种峭壁高度一般要求超过5米;第二层是红层,就是岩石必须是红色的;第三层含义是岩石是陆相沉积岩,也就是湖相沉积。那么,作为丹霞地貌命名地的丹霞山,如此奇特的山水是怎样形成的呢?在1.4亿年前,也就是恐龙灭绝的年代,丹霞山是南岭山脉的一个内陆盆地。由于地势低洼,雨水夹带着泥沙碎石流到湖泊内堆积。当时地球的气候非常炎热,湖里的堆积物所含的铁质被氧化成三氧化二铁,形成红色沉积岩。经过大约7千万年,湖泊内沉积了厚度约3700米的巨厚红层。其上部约1300米的较坚硬岩层称为丹霞组,下部约2400米的较松软岩层称为长坝组。到白垩纪末(距今7千万年前后),整个盆地沉积环境消失。由于地壳运动和受燕山运动影响,逐渐隆起并接受侵蚀,但是这个时期的上升非常缓慢。距今3千万年前后,受喜玛拉雅山造山运动影响,湖盆随着南岭山脉剧烈抬升,湖内岩层形成许多断裂和节理,加之长期受流水侵蚀、重力崩塌、差异风化,形成了一座座顶平(或顶斜)、身陡、麓缓的山峰。

对于丹霞拉练心得体会及收获四

親愛なる観光客の友達:

皆さん、こんにちは。丹霞山にようこそ。今回の旅行のガイドです。今日は私が皆様のためにサービスを提供します。もし何かご要望がありましたら、いくらでも提出してください。誠心誠意解決します。

まず、ガイドさんが観光スポットの基本状況を紹介します。丹霞山は仁化県城の南約9キロのところにあります。韶関市街区から56キロ離れています。丹霞山は南シナ海の羅浮山、博羅羅羅浮山、肇慶鼎湖山と並んで広東四名山となり、1988年に国務院に国家級の景勝地と定められました。全山は赤色の砂礫岩で、全山を眺めています。「色は渥丹の如し、燦然として明霞の如し」というので、「紅石花園」とも呼ばれています。その地質の岩層は砕屑赤岩、礫岩と粉状砂岩からなり、カルシウム、酸化鉄と少量の石膏を含み、朱色を呈しています。砂岩地勢の代表です。このような地形は福建の武夷山、韶関の金鶏嶺と同じに丹霞の地形に属します。丹霞山は昔は木仏陀の旧地を焼き、また長老寨と呼ばれていました。「広東省通志」によると、丹霞山は唐五代の時にすでに仏教居士法雲が山上の錦石岩で休んでいました。南寧時代には、僧伽構造堂室があり、仏像を供えました。明代末年(西暦1645年)、虔州は李永茂、李豊茂兄弟を巡り、山に経営し、石段を切り開いて建物を建て、家を建て、隠遁の場として丹霞山と改名しました。

丹霞山の主峰は海抜409メートルで、多くの名山と比べて遠くて高くもないです。でも、黄山の奇、華山の険、桂林の秀を集めています。景勝地は上、中、下の三階と錦江景勝地、翔龍湖と天下第一奇観と言われる陽元山に分けられています。上層は三峰がそびえ立っています。中層は別伝寺を主体としています。下層は錦石岩を中心にしています。三百年前に淡々と帰僧が丹霞山で別伝寺を開拓した時、12か所の景色を選び出して丹霞十二景と名づけました。錦水灘音、玉台爽気、傑閣晨鐘、丹梯鉄索、舵石朝光、竹坡煙雨、双沼碧荷、乳泉溜、疲れた頂浮図、虹橋は翠、片鱗秋月を擁します。

丹霞山は四季を通じて晴雨にかかわらず、朝と夜は違った景色で観光客に観賞されます。朝、丹霞山で日の出の奇観と滔々とした雲海を見ることができます。夜には綺麗な夕焼けと静かな夜が見られます。雨の日、遠くを眺めると、心が広くなり、心配がなくなります。春夏秋冬というと、四季の景色の奇妙さは、その境地を経験した者にしかわからない。

丹霞山風観光スポットに入ると、正面は丹霞門楼で、門楼の金壁は光り輝き、鳥居には「丹霞山」という三つの大きな字が刻まれています。上山の小道に沿って半山亭の前まで、左に曲がって錦石岩の方向に行って、先に1石の岩に会って、切り立った崖につないで、下に深い溝に臨んで、情勢は険要で、関所のようです。北宋の時、仏教の居士の法雲が幽玄の縁によじ登ってここまで光があふれてここの景色のためにうっとりして、足を止めて休んで、そして「半生は全部夢の中で過ごしました。今日はついに空虚を感じました。」後にここを「夢覚関」と呼びます。この石岩は丈だけの幅ですが、とても整然としていて、まるで仏壇のような形をしています。その上にあぐらをかくと、足元の錦江、頭上の雲石の風采が見られます。寝床を過ぎると、遠くないところに風化した岩穴があります。上には「幽洞通天」という四つの大きな字が刻まれています。ここの竹の竹やぶが映えて、緑の木がゆらゆらと茂っています。穴の前に小さな坪があります。昔の錦石の尼庵の山門に来ています。青い水を見下ろして、ビーチの音を聞いてもいいです。ここで少し休んだら穴を回って静かに探知できます。

幽洞から天の前に約1000メートル、向こうの崖が天にもたれかかって立っています。崖が上から下に切り分けられています。200メートル、高さ40メートル以上、幅はわずか1メートルぐらいです。一番狭いところは0.7メートルしかないです。幽洞から天に通ずる錦石岩までの珍しい危険な小道になります。ここから歩いてきたのは両側の絶壁がそびえ立っていて、勢いは傾けようとして、大空を仰ぎ見て、ただ長い天の一線を貯蓄して、両側の崖の隙間に生えている灌木の枝葉は意外にも差があって、度々岩鷹がいて、疾若流星、更にここの神秘的な雰囲気を加えました。

丹霞山の多い岩穴の中で、錦石岩は一番観光客を引きつけます。石の壁の五色の間が間違っていて、四時が変態ですから、この名前が付けられました。錦石岩は丹霞山が開発した一番早いところで、明成化年間に、ここの僧は松杉を植えて、伽藍堂廊房と寺庵を建てました。錦石岩洞の入り口に立って、外には空から飛泉が落ちています。太陽の光に反射して虹のように舞います。これは丹霞新十二景の一つである錦岩飛瀑です。滝の名前は馬尾泉で、昔は「竜尾泉」と呼ばれています。源泉はサザエ峰の右側の谷間にあり、地表が流れ出した後、錦石岩の上の山頂からは200メートル以上の懸泉滝が流れ落ちています。錦石岩は前後の四つの岩洞から一つになっています。それぞれ千聖岩、祖師岩、伏錦岩飛瀑虎岩と竜王岩といいます。その中で伏虎岩が一番大きくて、深さは20メートルぐらいで、高さは約4メートルで、数百人が収容できます。洞内原には五百羅漢像が奉られていましたが、文化_革命の間に破壊され、1981年に壊れた仏像を修繕し、観音菩薩32の「応身」を新たに作ったのです。趙朴初先生は詩があって、「友達がいて遠くから何の縁ですか?錦江人は錦江の辺に行きます。ぐるぐる回る泥は疲れがないように選んで、敦煌に昔の賢を嘆きたいです。」伏虎岩と隣接している竜王岩は、洞窟の内壁に蜂の巣のような形の紋様の結びつきがあり、鱗甲のような形をしています。これらのビミョーの「竜鱗」は、表面に微生物が付着していて、気温と湿度の変化に応じて赤、橙、黄、緑の色が変化しています。ここは丹霞山の古い十二景の一つである「鱗秋月」で、「龍鱗甲」とも呼ばれています。

錦石岩を見た後、元の道に沿って行って、途中の山亭を通って右に曲がって、青い空に向かっては一線だけが残っています。両側の絶壁が立っています。絶壁の間には閉店があります。その危険はこの上なく、まさに「一夫関に当たる、万夫莫開」です。しかし、振り返って眺めると、錦江が間違って並んでいる諸峰の間をうねうねとうねるような風情があります。

中層風景区に入ると、まず嶺南の有名な別伝寺に着きます。明代末期清代の初めに建てられた別伝寺原は、明代の遺臣である江西贛州の李永茂とその弟たちを慰問し、乱世を避けるために、100両以上の銀を使って丹霞山を買って隠遁の地とし、石を階段として掘り、橋を架け、家屋を建て、また各所の岩穴を石に隔てて部屋を作り、この昔の山間の僻地の山間が次第に栄え、明代の遺失物となりました。乱れた桃源郷まもなく、李永茂が亡くなりました。その弟の李満茂は広州海幢寺に行って、明末の抗清義士が淡々と坊主に帰るのを見ました。丹霞山を寄付します。淡々と丹霞に帰って寺院を作ってください。淡々として丹霞山に帰った後、丹霞山の地形特徴に基づいて建築図を設計し、活動しながら建設資金と物資を調達しました。淡々と帰郷した僧侶と弟子たちの苦心経営のもと、ついにはかなりの規模の寺院が建てられました。「文字にこだわらず、他伝を教える」という意味で、名別伝寺は当時の嶺南十大ジャングルの一つとなりました。

別伝寺は建てられてから、何度か兵災と火事に見舞われました。たくさんの殿宇は遺跡だけを残しています。1980年、本煥禅師は寺に住職し、別伝禅寺を再建しました。大原省長葉選平は別伝寺雄宝殿、天王殿、鐘楼、鼓楼、禅堂、念仏堂、三聖殿、観音堂菩提精舎、客堂、斎堂、老人堂、僧舎など十数軒の建物を含みます。これらの建物は長老の峰を背にして、雲海に対して、前後でつながって、左右対称です。全体の建築群は赤い壁と黄色い瓦で、軒先を押しのけて、光り輝き、荘厳さを失わない。別伝寺は1984年旧暦4月8日に開光しました。全国仏教協会趙召初会長は1986年春に来訪した時、七則の「丹霞山は本煥和尚に贈る」雲を与えました。柏子参禅の味、七碗の松涛が夢の跡を探しています。行堂に集まって見てもらえません。山の門を半咻鎮したいです。」別伝寺の僧が朝と晩の宿題と仏事をする時、鐘鼓が一斉に鳴き、馨の魚が一斉に鳴き、梵がこの音を吹くのは半山に充満します。このような光景は古今の丹霞十二勝の中でもこの景を列挙しています。昔は「傑閣晨鐘」と呼ばれていました。

外に出るとすぐ近くに大きな木があり、枝葉がゆらゆらしています。近くを見てみると、幹の幹は一里一外で、二つの異なる科目の木が互いに依存していることが分かります。枝葉を交錯させながらも、それぞれ姿を現し、久しぶりに会った恋人のように、静かな谷間に立ちたいと思いました。昔の人は「目を見て死を辞し、オシドリとして仙人を羨まないようにしたい」と詩雲がありました。昔の人がオシドリの名をこの木にしたのは道理がないからである。この違う科目の木はどう繋がっていますか?答えは分かりますか?双池碧荷はもともと双沼碧荷と呼ばれています。丹霞古十二景の一つです。中層の景勝地の右側に位置して、ここは3メートルの高さの巨石がそびえ立って、形はプラットフォームのようで、プラットフォームの上で2つの石池を切り開いて、一大の1は小さくて、両面の明るい鏡のようで、だからまたある人はそれを双鏡池と呼びます。昔池には貴重な蓮の花がありました。錦辺蓮は花白の花弁が赤く点々としています。中には浅い碧が含まれています。珍しい貴重な品種です。

丹霞山の石峡はここだけです。登山の一番上の道です。ここで石が二つに割れて、合掌のような形をしています。中には峡道が現れて、数丈もあります。峡谷の暗やみの時、暗やみのように空を見上げて、峡谷の頂から斜めに射し込む。その景観の奇特さは完全に天造地である。石峡から登れば二閉店となり、方石で築き上げられ、狭くて人を通わすことができます。ここでは石峡に降り、霞が関に登ってみます。昔の人が言った「一兵関に当たれば万夫も敵なし」は、二門関のために写し取ることができます。

丹霞山の中層から上層に行くと、もともと道がなくて、後代の人は二閉店後の断崖絶壁に石段を切り開いて、そばにロープチェーンを付けて、通路になります。ここは露出している赤岩の絶壁で、両側は広々としていて、頼るところがなくて、百丈の丹崖は谷底までまっすぐに降ります。丹梯の上に立って、群れのような青緑色の峰、訓練のような錦江を縦視することができますが、目眩がして、動悸がします。ここで立ち止まる勇気がありません。丹梯の右下の石壁に「宜若登天」という四つの大きな字が刻まれています。ここの危険な風景をイメージしています。丹梯鉄索の上端は霞が関で、古くは海山門と呼ばれ、登山のための唯一の関所です。丹霞山の赤い砂岩を使って築いて、高さは2.5メートル、幅は3メートルで、閉門幅は0.8メートルだけです。この道は石峡を着て、二関を過ぎて、丹梯鉄索に登ります。一箇所は危険です。最後に霞関を出て、上層風景区に着きます。

上層の景勝地の最南端には、丹霞山の観日亭があります。長老峰の頂上には、日本の観光亭が上下二階に分かれています。ある人は丹霞山で日の出を見たら黄山の蓮の花の峰で日の出を見られないと言いました。「日の出の景色を満喫し、夕日の美しさだけがある」と絶賛する人もいます。もし天気が悪いなら、東の空に雲が立つところに、薄オレンジ色の霞が広がっています。突然、眉のような細い光の帯が現れ、続いて無限の赤い波が天の外から敷いてきました。この時、太陽はゆっくりと高く昇っています。賀状を転がる火の玉のように、突然浮かんだり沈んだりします。

ある友達はかつて丹霞山に行っても日の出が見えないと嘆いていました。これは晴雨が常ではないので、偶然に会うべきです。日の出があっても、壮観かどうかは季節や天気によって決まります。一般的には、夏の終わりと秋冬の季節が適しています。前の日の午後は小雨が降って、晴れに続いて、翌日は霧が立ち込めています。素晴らしい日の出を見る貴重な機会です。

サザエの頂上の浮屠はサザエの峰の頂に位置しています。「浮屠」は梵語の「仏陀」の訳語で、仏教が仏骨、仏像を祭ったり、仏経を所蔵したり、僧侶の遺体を保存したりする建物を「塔」と呼んでいます。この丹霞山の上には舎利塔があります。螺頂浮屠は清康熙六年に建てられ、正方形の紅岩板石構造で、祭坪、台座、塔身の三部分から構成されています。祭坪は石板で敷いて、四方に供台があって、周囲の彫刻石は手すりです。この塔の建物はかなり規模があります。別伝寺の最盛期の証です。

サザエ峰竜王岩の前には、丹霞の古い十二景の一つである乳泉春溜があります。乳の泉はまた石乳泉と呼ばれ、泉の水は岩の下からザーザーと湧き出てきて、清冽で甘い。石の乳のように滑る。清代の順治年間に、仁化には一人の読書人がいました。劉松涛といいます。ここで詩書を勉強します。甘泉がさわやかで、つまり井戸を二つ掘ることができます。李永茂はこの山を買った後、甥の李経宇はここで隠遁して、岩に従って楼閣を建てて、「龍王閣」と名づけました。そして亭を建てて井戸を守って、松の竹やぶを飾って、ここの風景に独特の趣を持たせて、丹霞古十二景の一つになりました。残念なことに、長きにわたって、昔のあずまやは橋を全部傾けました。わずか二井が満ちています。清泉は元のままです。春めく日のように、泉の流れが沸き立ち、深い谷间を流れ落ち、さらさらと音がして、古き幽情を思わせ、天地の霊気を叹く。サザエの峰とエベレストの中間に位置しています。4メートルの大きな石があります。この石の勢いは虹のようです。橋のように平らで、サザエの峰からエベレストに行く唯一の道です。橋の両側には深い溝があり、一方には崖が連なっています。崖の片側まで,竹やぶが繁茂して,ひっそりとしていて美しい。ここは日の出を見るにはいいところです。角度は違っても、長老峰が日の出を見るのと同じです。虹橋から東へ行くと、松林があって、海のようです。山風がゆっくりとやって来て,林海松の大波が騒がしく音楽をしていると,時には海の波のように激しい勢いでやってきて,万馬奔騰している。ここで自然の恵みを聞くと、嫌な思いをさせてくれます。超塵脱俗して気持ちがいいです。舵石の朝の光は宝珠峰の北端にあり、本山の最高点である。丹霞の山本の峰は大きな輪のような形をしていて、錦江のほとりに泊まっています。宝珠峰は船尾にあり、頂上の東南端に赤い石がそびえ立っています。船の舵のようなものです。朝日が昇るたびに、ここは金色に輝いています。朝焼けは錦のようです。一草一木、一石一岩は黄金色の光を反射しています。とても壮麗です。

錦江の名前は美しいですが、景色はもっと美しいです。錦江の水源は江西崇義県の仙人嶺にあり、くねくねと百里を経て仁化県城を経て来て、丹霞山をめぐって南に浈江に流れ込む。山と峰の間を駆け抜けて行くと,両岸の峰が緑の水の中に影を落とした。丹山碧水が互いに映えていて、景色がとても綺麗です。丹霞山に旅行に行ったら、雄だけ登山して錦江を見物しなかったら、流れは半分しかできませんでした。とても残念です。観光錦江はふもとの埠頭で遊覧船に乗ります。遊覧船の上の船組合の沿道で江上と川辺の美しい景色を紹介します。

碧海竜吟は丹霞新十二景の一つである。1984年に右側の谷に錦江によって人工湖を建設しました。碧湖といいます。湖面の幅は137ムーで、倉庫容量は58万立方に達します。この人工湖の形は三日月のようです。湖は広々としていて、波がきらきらと輝いています。碧若玉盤の湖面に丹霞山の美しい姿が映っています。もし1葉の小舟を運転するならば、青い波の中で幽玄を求めて勝利を収めて、あの竜の吟のようなこんこんとした泉の音に耳を傾けて、自然と人生に万般の思いを抱かせることができます。満翠ホテルの後ろの錦江川には、南岸錦園リゾートに行く人用のロープ橋があり、「九索橋」とも呼ばれています。この橋は1986年に建てられました。橋の長さは80メートルで、幅は2メートルぐらいです。5本の鋼索が平行に並んでいて、上には木橋を架けて橋の面を作っています。両側にはそれぞれ2本の鋼索が手すりとしてあります。橋全体はこの9本の鋼索で両端の橋脚につながっている。遊覧客が橋の上を歩くと、橋は左右に揺れるが、絶対安本である。橋の下に立ってカササギの橋を仰ぎ見ると、空を飛ぶように訓練されています。橋の上から錦江を見下ろすと、青い水が虹を映すのが見えます。ここは錦江両岸の交通の要路をつなぐので、また1景観で、“9索の長い虹”と称されます。

小さな埠頭からヨットに乗り、両岸の青い山をゆっくり後ろに動かして、錦水灘の音を聞いて、そっとラブソングを送ります。船は100メートルぐらい行って、左の前の方の山が向こうから来て、この山の形はまるで大きな亀のようです。亀甲、亀の尾、はっきりと見えて、形と神を兼ね備えています。亀の頭が向いているのは、丹霞山別伝寺の山門です。船が亀の尾まで来ると、振り返って見ると、亀の頭がだんだん亀の甲の中に引っ込んできて、イメージが真に迫っていて、動作が似ていて、びっくりさせられます。

遊覧船は更に前に進み、両岸の石岩は多彩で、水中の礁嶼やチベットや露、「鼓洞を打つ」、「臥牛石」、「六指が魔を捕らえる」などの奇石は造形が真に迫っているだけでなく、すべて不思議な伝説があります。江水は碧透を明らかにして、浅い水のところで、遊覧魚が悠々と尾を振って、色の錦石がまばゆい生輝を見ることができます。水の深いところでは江水は翡翠のように濃く、両岸の青山を江中に収めます。詩のように描かれた川岸の長い回廊の中で、砂浜を過ぎて、平湖が現れて、幾度も曲折を経て、遊覧船はついに一抹の平砂の車頭村に来ました。ここは遊覧船の終点駅で、出発点までもう十数里あります。舟を捨てて岸に登って、砂浜に沿って精巧な錦石を探すことができて、岸辺の露店で丹霞を買うことができます。波を採取して勝つ流れはきっとあなたに「千山依序入画屏蔽内容」の美しい感銘を得られます。

船で錦江を遊覧してから四里下にあります。左岸の小峰には展望亭があります。船から岸に登って、石段に沿ってあずまやに登って、周りの景色が一目で見られます。雲霧がその間を巡って、仙山瓊閣の中に身を置くようになりました。ここは丹霞新十二景の一つの仙山瓊閣です。後ろを見ると、丹霞山の主峰は大きな船のように波を切っています。また大きなラクダのように山を越えて川を渡っています。前向きに眺めて、姉妹の峰の婷婷玉は立って、脈拍は情を含んで、朝夕に付き合って、影と形は離れません;親指の峰は大地のように“親指”を伸ばして、秀麗な丹霞の景色を賛美します;急須の峰も非常に真に迫っていて、壺の蓋、壺の口があって、ただ急須の取っ手がありません。昔姉妹二人は親切で客好きで、遠くのお客さんにお茶を注いでいましたが、うっかり取っ手を外してしまいました。香茶は錦江をはねて、30里の香りがあふれました。急須の峰の前後にある燕岩、平頂寨はまたお茶のようです。一番遠いところには直立の峰があり、観音様のような形をしています。観音様の前にはさらに二つの小石峰があり、まるで金童玉女のようです。

皆様、丹霞山の観光はこれで終わります。楽しく遊んでください。

对于丹霞拉练心得体会及收获五

亲爱的游客朋友,欢迎您来到美丽神奇的中国红石公园——丹霞山参观游览。我是丹霞山的讲解员,非常高兴能有机会陪同您一起领略丹霞山的秀丽风光,共度美好时光。

亲爱的游客朋友,我们现在所在的位置是中国红石公园——丹霞山的外山门区域金霞小区。这个区域以前有个村子,村子取了一个很特别的名字:石母。也就是石头的祖宗的意思。我们面前的这个山门是目前国内最大的山门。山门是1994年由中山大学教授彭华先生创意设计修建的。山门通高42米,山门的整体是一个巨大的“山”字。右侧门柱取形阳元石,左侧门柱取形天柱石,中间的拱门象形天生桥。最高的门柱的设计创意则来自僧帽峰,上刻的“丹霞”二字是由岭南著名画家关山月先生题写的。门框上的四个大字请大家猜一猜是什么字?对,自右至左,这是书法家章一平先生用大篆书写的“万古金城”。是赞美丹霞山的山石像一座座红色的城堡。门框的左下方还有“中国红石公园”几个隶书大字,是说丹霞山之美堪与美国黄石公园媲美。红石公园前面的两块花岗岩巨石取自锦江上游的仁化县长江镇河田村,上面刻写的是20xx年8月2日广东丹霞山与中国南方共6省6处丹霞地貌集中分布区联合以“中国丹霞”名称申报世界自然遗产获得成功的世界遗产证书和世界遗产标志,并于20xx年10月29日由国际地貌学家协会协会主席迈克尔•克罗泽、世界自然保护联盟代表保罗•丁沃、联合国教科文组织地学部原主任沃尔夫冈•伊德、国际地貌学家协会丹霞地貌工作组主席、中山大学教授彭华共同为中国丹霞世界遗产标志石揭碑。大门的右下方红砂岩石碑上面刻写的是20xx年2月13日丹霞山成功列入全球首批世界地质公园和世界地质公园标志,是20xx年7月5日揭碑开园的。这两块合而为一的巨大的红砂岩则取自韶关境内另一处著名的丹霞地貌景观乐昌市坪石镇金鸡岭的附近。大家可以在这两块标志石前照相留念。

现在我们正式进入景区游览。您可以凭购买的景区门票乘坐景区环保车进入我们的各个游览区,从外山门到阳元石游览区约2公里,到长老峰游览区约4公里,到锦江游船码头约1.5公里。入口的右侧有一条长1500米的进山步道,与阳元石游览区和锦江沿江步道联成一体,游客也可以选择徒步进入山里游览。丹霞山风景区位于广东省韶关市东北郊,总面积292平方公里,北大门距韶关市区45公里,风景区的最南端距韶关东火车站仅6公里。因山石“色如渥丹,灿若明霞”,所以称之为丹霞山。丹霞山是丹霞地貌的命名地。1980年1月正式对外开放,是中国最早对外开放的旅游区之一。我们的丹霞山1988年被国务院列为国家级风景名胜区,1995年被国务院列为国家级自然保护区,20xx年2月13日被联合国教科文组织列为全球首批世界地质公园,20xx年8月2日与中国南方共6省6处丹霞地貌集中分布区以“中国丹霞”名称被联合国教科文组织世界遗产委员会列为中国第八处、也是目前广东唯一的一处世界自然遗产。丹霞山历史悠久,风光秀丽,具有雄、险、奇、秀、幽、古、旷七大特点,素有“万古丹霞冠岭南”的美誉。

雄:即雄伟、阳刚之美。以赤壁丹崖为特色。丹霞山的山峰均由悬崖峭壁构成,拔起于平川或河岸之上,危崖裸露、光滑齐削、气势磅礴,充满阳刚之美。

险:丹霞山地貌具有“顶平、身陡、麓缓”的特点,古人利用这一特征常在崖顶筑石结寨,以险御敌,如巴寨、细美寨、长老寨、扬州寨、韭菜寨等。每座山寨的攀登之路犹如“天梯”,“一夫当关,万夫莫开”,上山途中用红色砂石所垒成的道道山门,也可使敌人望而生畏。

奇:丹霞山石之奇特,形态各异,似墙、似堡、似寨,拟人、拟兽、拟物,形象逼真,栩栩如生。阳元石、阴元石堪称“天下第一绝景”。天然形成的通泰桥则被誉为“岭南第一桥”。龙鳞片石、天柱石、观音石、望夫石与阴、阳元石,并称丹霞山六大奇石。

秀:以亚热带常绿阔叶林为主的植被一年四季郁郁葱葱,浈江全长32千米和作为浈江一级支流的锦江下游34千米蜿蜒于丹霞山区腹地,如飘带,似银练。沿江两岸,竹树婆娑,田园锦绣,江清水碧,山石倒影,丹山碧水交相辉映,不是漓江胜似漓江。

幽:沿断层和节理广泛发育的线谷、巷谷、沟谷普遍具有狭窄幽深的特点,两侧丹崖赤壁,沟谷幽深,谷底植被茂盛,鸟鸣谷幽。丹霞盆地核心区内的山峰和谷地,大部分为无人区。

古:从浈江河畔的新石器时代的鲶鱼转遗址,从相传4000多年前虞舜南巡奏韶乐,从锦江岸边的岩画,从隋唐以来的韶石、狮子岩、锦石岩的开发,到明清时期别传寺等的兴盛,千百年来,古人为丹霞山留下了丰富的建筑、摩崖碑刻、诗文和古老的传说。

旷:主要体现在锦江河谷小平原和浈江河谷小平原。站在丹霞山峰上下望成片的夏富小平原和周田小平原,一派美丽的丹霞田园风光。

丹霞山是丹霞地貌命名地。那么什么是丹霞地貌呢?按照当代丹霞地貌泰斗、中山大学教授黄进先生的定义:丹霞地貌是指有陡崖的陆相红层地貌。这里面有三层含义,第一层是陡崖,也就是我们常说的悬崖峭壁,这种峭壁高度一般要求超过5米;第二层是红层,就是岩石必须是红色的;第三层含义是岩石是陆相沉积岩,也就是湖相沉积。那么,作为丹霞地貌命名地的丹霞山,如此奇特的山水是怎样形成的呢?在1.4亿年前,也就是恐龙灭绝的年代,丹霞山是南岭山脉的一个内陆盆地。由于地势低洼,雨水夹带着泥沙碎石流到湖泊内堆积。当时地球的气候非常炎热,湖里的堆积物所含的铁质被氧化成三氧化二铁,形成红色沉积岩。经过大约7千万年,湖泊内沉积了厚度约3700米的巨厚红层。其上部约1300米的较坚硬岩层称为丹霞组,下部约2400米的较松软岩层称为长坝组。到白垩纪末(距今7千万年前后),整个盆地沉积环境消失。由于地壳运动和受燕山运动影响,逐渐隆起并接受侵蚀,但是这个时期的上升非常缓慢。距今3千万年前后,受喜玛拉雅山造山运动影响,湖盆随着南岭山脉剧烈抬升,湖内岩层形成许多断裂和节理,加之长期受流水侵蚀、重力崩塌、差异风化,形成了一座座顶平(或顶斜)、身陡、麓缓的山峰。

对于丹霞拉练心得体会及收获六

各位来宾,大家好!

欢迎来到世界十大神奇地理奇观之一的张掖丹霞国家地质公园观光游览,我是工作人员,非常荣幸能为各位来宾做讲解服务,在这里衷心希望大家玩的开心,游的尽兴。

张掖丹霞国家地质公园总面积为510平方公里,分布在临泽、肃南、甘州三县区,主要包括临泽县南台子彩色丘陵、肃南冰沟丹霞、甘州区平山湖丹霞等。现在我们所看到的就是位于祁连山北麓的临泽县南台子彩色丘陵,这里东距张掖市区30公里,北距临泽县城20公里,分布面积约为50平方公里。这里平均海拔高度为1800米左右,现在所处的位臵是1780米,张掖丹霞现为“国家4a级旅游景区”、“国家级地质公园”、“省级风景名胜区”。先后被评选为“中国最美的七大丹霞”之一;中国最美的6处奇异地貌”之一;20xx年又被极具权威性和导向性的《美国国家地理杂志》评为世界十大神奇地理奇观之一,具有很高的旅游观赏价值和地质科考价值。

各位来宾,我们现在所处的位臵就是景区核心浏览区——七彩神仙台,这里的海拔高度为1820米。映入我们眼帘的这片色彩斑斓的山体,给人一种气势恢宏的感觉,大家看远处橙黄色的那一部分,看上去呢特别像一条红棕鱼的造型,它就是整个景区的标志性景观——七彩屏,加上眼前这片线条流畅,色带清晰的部分,在夕阳西下、雨过天晴的时候每条色带发出自己的光芒,色彩相邻而不相交就呈现出七彩飞霞的景象。这片景观也是景区宣传画册和门票的封面,现在的张掖丹霞经过几年的开发和宣传,已享誉中外。前面的平台是拍照角度最佳的一个点,大家可以拍拍照,把美景留住以作纪念。

各位来宾往这边走,我们前方所看到的这块大石头呢,是从我国第二大内陆河黑河搬运过来的,堪称丹霞镇山之石,石头上镌刻着 “丹霞观止”四个字,为什么是“观止”呢?这是有蕴意的。第一就是,据考证,目前全国发现的丹霞地貌有850多处,咱们张掖丹霞是我国北方干旱地区发育最典型的丹霞地貌及国内唯一的丹霞地貌与彩色丘陵景观复合区,极具代表性;

第二是因为在张掖510平方公里的丹霞地貌中,咱们南台子彩色丘陵以色彩之艳丽,场面之壮观,气势之磅礴,举世罕见,既具有新疆五彩城的色彩美,又有敦煌雅丹地貌的形态美,最具旅游观赏价值和地质科考价值,所以呢,看完这儿,其他地方您可以不用再去了。

俗话说:“观赏大自然的美景,三分相像,七分想象。”您再看一下石头上方白色轮廓的这一部分,它的造型是一条龙和一头虎的造型,老虎头部清晰,虚爪前卧,到身后变为龙头,龙虎幻化为一体,给人无限遐想,所以被称为“藏龙卧虎”石或青龙白虎石。

(好了,各位咱们继续前行。)咱们一号观景台分为东、西两个观景平台,东观景平台主要适合于日落前观赏七彩飞霞景象,西观景平台则适合于清晨日出时观赏万象奔腾景象。现在请各位来宾先随我登上东观景台,因为丹霞的景致呢是移步换景,从不同的角度看造型是截然不同的。

刚才我既说到丹霞地貌,又说到彩色丘陵,他们之间到底有什么样的区别呢?下面我给大家简单的介绍一下:

丹霞是地理学名词,是指有陡崖的陆相红层地貌。丹霞地貌作为古老的地质遗迹,它发源于侏罗纪至第三纪时期的水平或缓倾的红色地层中,是喜马拉雅造山运动中发育形成的红色岩系,随着地壳的抬升,山坡以崩塌过程为主而后退,保留下来的红色砂岩经过长期的风化剥离和流水侵蚀形成了孤立的奇岩怪石,所以其突出特点为“色如渥丹,灿若明霞”。

彩色丘陵属于多种因素形成的丘陵状彩色地貌,呈红黄橙绿白灰等多种颜色,因为其缤纷的色彩而被称为彩色丘陵。彩色丘陵的概念有两个层面的含义:一是有丘陵状的形态;二是岩层呈现出丰富的色彩。比较有代表性的有咱们张掖的彩色丘陵、新疆昌吉回族自治州五彩湾和阿勒泰地区的五彩滩和五彩城。彩色丘陵以斑斓的色彩和波状起伏的组合吸引着人们的眼球,成为颇受游人青睐的地貌景观。

各位来宾随着脚步的前进,我们来到了东观景台。大家回过头来再看一下刚才的七彩屏,下面那些三角形塔状、有序排列的部分,我们称它为七彩塔,由于我们现在跟它是同一个高

度,看到的全是塔的顶端,俗话说塔是佛教的象征,有塔就有佛,请大家看咱们身后的那一部分山体,我们看它右边最突出部分,是一个人的五官轮廓,嘴巴微张,鼻梁,眉骨非常清晰,我们视线继续向左,您会发现凹进去白色的那部分就是人的脖子了,继续往左您惊喜的发现是他宽阔的胸膛,而两手相交放在腹部,一直向左延伸至远处的山顶就是他的脚了,继续往下看,你发现下边灰白色的轮廓像不像莲花瓣呢,而莲花瓣下方的小土丘像不像披着袈裟跪拜着的小僧人呢,所以整个景象堪称是景区一大奇景“众僧拜佛”。

请大家转身看正前方山梁那处特别凸出、特别尖的部分,远观近看都像一只猴子蹲在山顶上,而前方低洼处是深红色的一片,在夕阳普照下一片火红,被中国丹霞地貌旅游开发研究会终身名誉会长、著名的地理学家中山大学黄进教授誉为“火海”,而那只猴子正好就在眺望火海,所以这一景观称为“灵猴观海”。

好了,咱们东观景台的景观就游览到这里,我们原路返回。请大家注意脚下台阶。

自从这片神秘绚丽的地貌景观引起众多人的关注以来,地质工作者对它的考察和研究从未停止过,曾有人认为这种地貌是火山喷发所形成的,也有人认为是岩石中含有众多的矿物质,在20xx年7月,从事50多年地质教学和科研工作的兰州大学陈致钧教授和《地理*中国》栏目摄制组来到景区进行了考察,经过多方面的研究,彩色丘陵之谜被陈教授一一揭开,实验表明在这些岩石中含有不同价位的铁离子,亚铁离子是淡黄色的,在酸性条件下它就变成是淡绿色的,在碱性条件下它又变成墨绿色的;三价铁离子也是一样的,在不同的条件下它也呈现四五种颜色。据专家介绍,二价铁离子和三价铁离子是铁在水环境中的基本形态。在通常情况下,自然界的铁离子价位要发生变化必须符合一个条件,那就是铁离子变化的环境,必须存在着大量的水源。因此,专家断定几百万年前,张掖市临泽县倪家营乡和肃南裕固族自治县白银蒙古族乡交界的地方是一个盐水湖,在西北地区复杂的气候条件下,含有不同价位铁离子的丘陵岩石遭到了强烈的风化和地表水的侵蚀,最终被裸露出来,

裸露岩层中的铁离子价位会随着气候环境而发生化学反映,并呈现出不同的颜色,最终形成今天的彩色丘陵。

大家现在请随我登上西观景台,在这儿咱们既能感受到西北豪放、雄厚、苍劲之感,又能感受到南方清秀、端庄、典雅之美。咱们眼下的这一景观就是七彩练了,它笔直的线条,均匀的宽窄度,好似拿排笔画出的跑道一样,这完全是自然形成的,没有经过人工的任何修饰。请大家转过身,我们看看这个白色的山体,它单独看就好象一个贝壳,我们取名为大扇贝,连片看这九个大扇贝,她弯弯曲曲的造型不就跟咱们舞龙的造型一样吗?因此又称它为“九龙腾云”。然后大家再仔细看贝壳上面有一些黑色的轮廓,您仔细观察会发现它像一头头的大象,后边还跟着一群小象,特别在朝阳升起时显得尤为形象,又形象的称之为“万象奔腾”。四周都是悬崖的这一部分,大家看看,它的样子是不是跟咱们甘肃地图有点相似呢,当然这是人工所达不到的一种境界,这纯属大自然的造物之神奇,您看,除了个别地方被雨水冲刷外,其它地方都是比较完整的!

沿着我手指的方向大家看到的那条河叫梨园河,眼前的这片绿洲呢,是梨园新村。但就在这片土地上曾经发生过一场激烈的战争—梨园口战役。临泽是红西路军征战河西的主战场和总指挥部所在地,总指挥部就设在位于倪家营乡境内的下营子缪家庄院内,这里也是红西路军西征以来使用时间最长的总指挥部。红西路军自1936年12月底进驻临泽,历时70多天,经历大小战斗40余场次,消灭敌人1万余人,陈海松等7名军职将领及6000多名红军战士壮烈牺牲。临泽也就成为了红西路军河西征战以来,牺牲人数最多,最为悲壮,最具纪念意义的地方之一。

各位来宾现我们乘车前往下一个点,在一号观景台的观赏角度呢是以远观为主的,体现的是彩丘的壮观气势,而咱们下面所去的一个点呢则是局部的景观,但是色彩非常的艳丽,也是整个景区的灵气所在之地。彩色丘陵是大自然留给我们的一份宝贵自然遗产,20xx年黄进教授对景区进行了全面考察,认为彩色丘陵面积博大,气势磅礴、场面壮观、造型奇特、色彩艳丽,举世罕见。黄老就曾提出“张掖丹霞冠绝华夏”、“张掖

彩色丘陵中国第一”的美誉。在20xx年1月4日,堪称“世界十字路口”的美国纽约时报广场“中国屏”上,张掖丹霞国家地质公园及敦煌莫高窟、嘉峪关关城、麦积山、崆峒山等一批甘肃最具代表性的精品旅游景区惊艳亮相,这是甘肃省第一次以电视专题片的形式向美国及美洲旅游市场展示、推广精华旅游资源。

景区经过几年的开发,现已成为科考、探险、旅游览胜、休闲度假、摄影采风、写生作画的理想之地。继北京奥运会开幕式之后,张艺谋第一部影视作品《三抢拍案惊奇》,及姜文执导的电影《太阳照常升起》和钱雁秋编导的电视连续剧《神探狄仁杰(第三部)》均把景区作为外景拍摄场地。现在景区已成为临泽乃至张掖对外交流的一张亮丽名片。

各位来宾,请看车窗左边,它是景区的二号观景台——云端顶观景台(大山观景台),它是我们整个景区的至高点,海拔为2200米左右,为游客提供摄影及有氧锻炼,站到观景台上,不仅能看到全景也能看到远景,加上周边的田园风光,构成一副美丽的风景名画,如果您有足够的耐力和体力可以登到山顶体验一下 “会当临绝顶,一览众山小”的美景。

各位来宾,我们正前方看到的这块色彩鲜艳,线条流畅的的局部山体是咱们景区的另一处精华所在。它像极了天空中倒泄的彩虹,夕阳西下,山与山的倒影特别像凯旋而归的帆船,由此得名夕辉归帆。

曾有游客这么赞美过彩色丘陵,说它是仙女的化身,这个话一点都不假。顺着我手指的方向可以看到一处奇景——仙女醉酒,关于这个名称的由来,还有一个故事。传说,天上的一位仙女在天宫醉酒后,借助酒兴,偷偷来到人间,游走山水,足踏平川,饱览世间秀色,享受人间真情,竟然留恋忘返,甚至萌生凡心。谁知天上一日,人间十年,她三步两回头,恋恋不舍的行走在返回天宫的路上,后来酒力发作,倒头醉卧在祁连山中,顺手扯了一片五彩的云朵当做被子盖到身上,后来玉帝派天兵天将来寻找,看到她安详的睡姿,不忍惊扰她,就将她幻化成一座山峰留在人间。

现在咱们眼前这块色带清晰,宛如梦幻般屏障的部分就是七彩屏了,刚刚我们在一号观景台看到的是它的远景,也有人把它说成是咱们裕固族少女戴的红缨帽,红缨帽是裕固族妇女独有的特色,据说是为了纪念裕固族历史上一位被害致死的女英雄,红缨穗代表着她为民而死时头顶上的鲜血。大家再看七彩屏下方是呈三角形,有序列隆起的这一部分就是七彩塔了,您看它的造型像不像少数民族姑娘的裙摆。而最神奇的呢不仅如此,大家看只有一路相隔,两边的山体是截然不同的画面,一边是色彩艳丽的油彩画,而登到对面的观景台看到的则是清新淡雅的水墨画。各位咱们现在登上观景台参观,站在山顶,放眼望去,映入咱们眼帘的就是水墨丹霞,一幅充满神妙意境的中国画,大写意、细工笔、精雕细刻,水墨丹青游走群山之间,轻描淡写的水痕,浓墨重彩的色调,不得不说是大自然的鬼斧神工啊。咱们再来看下七彩屏上方红色的山头,山体的中间部分是均匀的漫坡,不见一块突出的山石,好像铺上了一层厚厚的细沙,远看好似大片的沙漠。而在沙漠上方的山顶上,则像一个在沙漠上长途跋涉的驼队,正在不慌不忙地走向远方。走在驼队最前边的是一匹领路的头驼,遥望驼队,仿佛能听到悠远的驼铃声在叮当作响。因而,这处称它为“大漠驼铃”。

咱们现在前往景区的四号观景台——火海观景台,那里有景区专设的滑翔机场,如果大家想换一种体验方式,换一种视野角度的话可以乘坐我们的滑翔机去感受一下航拍的感觉,俯瞰一下彩丘的壮观之美。登上观景台可以看到一处人文景观和一处自然景观。20xx年张艺谋导演的电影《三枪拍案惊奇》的外景拍摄地麻子面馆就在这里,虽然现在面馆已经很沧桑了,但是它是张艺谋当时花了68万修建的一处皖南民居。大家沿着栈道可以领略到景区火海的唯美景象。

对于丹霞拉练心得体会及收获七

亲爱的游客朋友,欢迎您来到美丽神奇的中国红石公园——丹霞山参观游览。我是丹霞山的讲解员,非常高兴能有机会陪同您一起领略丹霞山的秀丽风光,共度美好时光。

亲爱的游客朋友,我们现在所在的位置是中国红石公园——丹霞山的外山门区域金霞小区。这个区域以前有个村子,村子取了一个很特别的名字:石母。也就是石头的祖宗的意思。我们面前的这个山门是目前国内最大的山门。山门是1994年由中山大学教授彭华先生创意设计修建的。山门通高42米,山门的整体是一个巨大的“山”字。右侧门柱取形阳元石,左侧门柱取形天柱石,中间的拱门象形天生桥。最高的门柱的设计创意则来自僧帽峰,上刻的“丹霞”二字是由岭南著名画家关山月先生题写的。门框上的四个大字请大家猜一猜是什么字?对,自右至左,这是书法家章一平先生用大篆书写的“万古金城”。是赞美丹霞山的山石像一座座红色的城堡。门框的左下方还有“中国红石公园”几个隶书大字,是说丹霞山之美堪与美国黄石公园媲美。红石公园前面的两块花岗岩巨石取自锦江上游的仁化县长江镇河田村,上面刻写的是20xx年8月2日广东丹霞山与中国南方共6省6处丹霞地貌集中分布区联合以“中国丹霞”名称申报世界自然遗产获得成功的世界遗产证书和世界遗产标志,并于20xx年10月29日由国际地貌学家协会协会主席迈克尔•克罗泽、世界自然保护联盟代表保罗•丁沃、联合国教科文组织地学部原主任沃尔夫冈•伊德、国际地貌学家协会丹霞地貌工作组主席、中山大学教授彭华共同为中国丹霞世界遗产标志石揭碑。大门的右下方红砂岩石碑上面刻写的是20xx年2月13日丹霞山成功列入全球首批世界地质公园和世界地质公园标志,是20xx年7月5日揭碑开园的。这两块合而为一的巨大的红砂岩则取自韶关境内另一处著名的丹霞地貌景观乐昌市坪石镇金鸡岭的附近。大家可以在这两块标志石前照相留念。

现在我们正式进入景区游览。您可以凭购买的景区门票乘坐景区环保车进入我们的各个游览区,从外山门到阳元石游览区约2公里,到长老峰游览区约4公里,到锦江游船码头约1.5公里。入口的右侧有一条长1500米的进山步道,与阳元石游览区和锦江沿江步道联成一体,游客也可以选择徒步进入山里游览。丹霞山风景区位于广东省韶关市东北郊,总面积292平方公里,北大门距韶关市区45公里,风景区的最南端距韶关东火车站仅6公里。因山石“色如渥丹,灿若明霞”,所以称之为丹霞山。丹霞山是丹霞地貌的命名地。1980年1月正式对外开放,是中国最早对外开放的旅游区之一。我们的丹霞山1988年被国务院列为国家级风景名胜区,1995年被国务院列为国家级自然保护区,20xx年2月13日被联合国教科文组织列为全球首批世界地质公园,20xx年8月2日与中国南方共6省6处丹霞地貌集中分布区以“中国丹霞”名称被联合国教科文组织世界遗产委员会列为中国第八处、也是目前广东唯一的一处世界自然遗产。丹霞山历史悠久,风光秀丽,具有雄、险、奇、秀、幽、古、旷七大特点,素有“万古丹霞冠岭南”的美誉。

雄:即雄伟、阳刚之美。以赤壁丹崖为特色。丹霞山的山峰均由悬崖峭壁构成,拔起于平川或河岸之上,危崖裸露、光滑齐削、气势磅礴,充满阳刚之美。

险:丹霞山地貌具有“顶平、身陡、麓缓”的特点,古人利用这一特征常在崖顶筑石结寨,以险御敌,如巴寨、细美寨、长老寨、扬州寨、韭菜寨等。每座山寨的攀登之路犹如“天梯”,“一夫当关,万夫莫开”,上山途中用红色砂石所垒成的道道山门,也可使敌人望而生畏。

奇:丹霞山石之奇特,形态各异,似墙、似堡、似寨,拟人、拟兽、拟物,形象逼真,栩栩如生。阳元石、阴元石堪称“天下第一绝景”。天然形成的通泰桥则被誉为“岭南第一桥”。龙鳞片石、天柱石、观音石、望夫石与阴、阳元石,并称丹霞山六大奇石。

秀:以亚热带常绿阔叶林为主的植被一年四季郁郁葱葱,浈江全长32千米和作为浈江一级支流的锦江下游34千米蜿蜒于丹霞山区腹地,如飘带,似银练。沿江两岸,竹树婆娑,田园锦绣,江清水碧,山石倒影,丹山碧水交相辉映,不是漓江胜似漓江。

幽:沿断层和节理广泛发育的线谷、巷谷、沟谷普遍具有狭窄幽深的特点,两侧丹崖赤壁,沟谷幽深,谷底植被茂盛,鸟鸣谷幽。丹霞盆地核心区内的山峰和谷地,大部分为无人区。

古:从浈江河畔的新石器时代的鲶鱼转遗址,从相传4000多年前虞舜南巡奏韶乐,从锦江岸边的岩画,从隋唐以来的韶石、狮子岩、锦石岩的开发,到明清时期别传寺等的兴盛,千百年来,古人为丹霞山留下了丰富的建筑、摩崖碑刻、诗文和古老的传说。

旷:主要体现在锦江河谷小平原和浈江河谷小平原。站在丹霞山峰上下望成片的夏富小平原和周田小平原,一派美丽的丹霞田园风光。

丹霞山是丹霞地貌命名地。那么什么是丹霞地貌呢?按照当代丹霞地貌泰斗、中山大学教授黄进先生的定义:丹霞地貌是指有陡崖的陆相红层地貌。这里面有三层含义,第一层是陡崖,也就是我们常说的悬崖峭壁,这种峭壁高度一般要求超过5米;第二层是红层,就是岩石必须是红色的;第三层含义是岩石是陆相沉积岩,也就是湖相沉积。那么,作为丹霞地貌命名地的丹霞山,如此奇特的山水是怎样形成的呢?在1.4亿年前,也就是恐龙灭绝的年代,丹霞山是南岭山脉的一个内陆盆地。由于地势低洼,雨水夹带着泥沙碎石流到湖泊内堆积。当时地球的气候非常炎热,湖里的堆积物所含的铁质被氧化成三氧化二铁,形成红色沉积岩。经过大约7千万年,湖泊内沉积了厚度约3700米的巨厚红层。其上部约1300米的较坚硬岩层称为丹霞组,下部约2400米的较松软岩层称为长坝组。到白垩纪末(距今7千万年前后),整个盆地沉积环境消失。由于地壳运动和受燕山运动影响,逐渐隆起并接受侵蚀,但是这个时期的上升非常缓慢。距今3千万年前后,受喜玛拉雅山造山运动影响,湖盆随着南岭山脉剧烈抬升,湖内岩层形成许多断裂和节理,加之长期受流水侵蚀、重力崩塌、差异风化,形成了一座座顶平(或顶斜)、身陡、麓缓的山峰。

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